2020年4月23日木曜日

セレッソ大阪の選手・編成動向の歩み~2007年~

2007年移籍市場
 2005年からFIFAクラブW杯が開催。またこの年から開催国枠(Jリーグ覇者)も創設され、ACL出場権利が無くとも、Jリーグ優勝さえすれば欧州覇者、南米覇者と対戦出来るビッグチャンスがあるということもあり、資金力豊富なクラブが大型補強に乗り出した。
 FC東京は福西崇史、ワンチョペというドイツW杯を経験した2人を、浦和は当時国内最高額となる、推定35000万円の移籍金で阿部勇樹を獲得するなど、積極補強に動くチームも多かった。

 またドイツW杯後からオシム氏が日本代表監督となったことで、代表選考の基準が大きく変わったことにより、欧州移籍に消極的となる選手も増えた一方で、宮本恒靖や三都主アレサンドロなど、中堅選手の欧州移籍も一部では行われた。
 セレッソ以外の降格組で見ると、福岡はリトバルスキーを招聘し、京都はDF秋田、森岡という元日本代表選手に加え倉貫、平島などを獲得。1年でのJ1復帰を掲げ両クラブは動き出した。
 

セレッソ大阪
2002年以来のJ2。勝点数が27であった以上、残留に値するチームではなかったし、16位に入っていても降格は避けられなかっただろう。
吉田、柳本、久藤、森島、西澤以外にも、バックアップも中堅からベテランに差し掛かる選手が多く、リザーブメンバーを含めた若返り方針を図ったのが2006年移籍市場。その年に加入したのが山下達也、香川真司、森島康仁、小松塁などである。

 また2007年の大阪世界陸上開催の改修工事及び本番で、06年終盤から07年終盤の約1年間、大阪長居スタジアムがシーズン終盤まで使用不可であった。その期間は長居第2陸上競技場をホームとして使用したが、世界陸上開催期間は長居第2も使用出来ず、兵庫県の三木防災陸上競技場、福井県のテクノポートでの開催を余儀なくされた。
 長居はもちろんのこと、長居第2も使用できないということ。またJ2降格により大幅な収入源が必至な状況であり、選手を含めた人件費のコストカットが必要であった。
 そのような状況もあり、J1昇格は当然目標ではあったものの、若手選手を積極起用して土台を作ろう、というような1年の始まりだった。


Manager 塚田 雄二
 小林伸二氏解任後に育成アドバイザーから就任。就任がGW直前だったから、ドイツWおけば、また違った形になっていたのかもしれないが、西村GMとの関係の深さが痣となったのかもしれない。
 W杯中断明けは名波、大久保の加入によって個で打開出来る試合は多くなるものの、チームとしては無策状態であり、そうなると降格は避けられない形であった。
 06年の成績不振の責任をとり退任。その後は20193月までの10年間、山梨学院大学スポーツ科学部教授の傍ら、サッカー部監督に就任。09年都リーグ3部優勝、翌年2部優勝し1部へ。関東大学2部への昇格は果たせなかったが、都リーグ1部では常にトップ3に入るチームへと作り上げた。

Physical Coach 高木 昭次
 静岡県でキャリアを積み、2005年よりHONDAから加入。ベテランの多いチームではあったものの、野戦病院化を喰い止めることも出来なかった。2008年からは仙台のフィジカルコーチに就任したものの、急性大動脈解離を患ってしまう。それでも2013年には徳島で現役復帰し、同年シーズンにJ1昇格。2014年には、初となる古巣のセレッソとの対戦も果たした。
2017年には、古巣で地元のHONDA.FCへ復帰。2020年となる現在も在籍している。


New Manager 都並 敏史
 ヤンツーこと柳下正明氏という可能性もあったが、都並氏に。2005年は仙台で指揮を執り4位という成績。
 当初は都並監督主体の元、チーム作りを進めていたが、序盤あまりにも勝てず、当時コーチだった手倉森誠が主導権を持つようになってから躍進。その為仙台時代の評価はかなり低い。2006年のヴェルディでも、ラモスは残留したが都並のみ解任された。そのような中での監督就任だった為、疑問の声もあった。

New Physical Coach 生駒 武志
 広島のトップチームを4年間担当した、宝塚市出身の専門家。磐田では育成年代の黄金期を作った実績も。

New GK Coach 藤川 孝幸
 甲南大学サッカー部の監督を1年間務めた後、都並氏からの要望もありセレッソへ。


IN
GK 山本 浩正→ジュビロ磐田
 2ndGKとして獲得。磐田ではリーグ制覇にも貢献したが、出場機会はそれ以降激減。再起を図る移籍となった。

DF 羽田 憲司→鹿島アントラーズ(Loan
 2001年のワールドユースで指揮を執っていた西村GMが高く評価していたCB。当初はCBCHだけでなくSBでもテストされた。

DF 柳沢 将之→東京ヴェルディ1969
 待望のサイドバックの選手。SB「も」出来る選手ばかりだったチームにおいては貴重な補強となった。

DF 阪田 章裕→立命館大学
 FC東京、京都との争奪戦の末に獲得。資金も乏しく、新監督も微妙なのが分かっているこの年にオファーして、よく来てくれたなぁと。

DF 丹羽 竜平→ヴィッセル神戸(Loan
 年代別代表の遠征に帯同している間に移籍が決まった。J2神戸では40試合に出場。期待の若手だった彼の移籍は、即戦力選手の補強の影響があったにせよ、サポーターを失望させるものだった。

MF アレー→ポタフォゴ(Loan
 J1やリーガエスパニョーラからのオファーもあったらしいが、セレッソを選択。『スペイン1部からのオファーを断って極東へ』『U-20ブラジル代表』『セレソン1試合(親善試合)』等の経歴は、今でこそパチモン感が半端ではないが、当時はまだ経歴がモノを言うところもあり、アレーもそのうちの1人だった。
20歳前後の選手がリーガエスパニョーラのオファー断ってJ2に来る時点で疑えよ。当時のセレッソサポーター。』と憤る人もいるだろうが、当時のサポーター達はあまりにも様々なモノを失い、そんな経歴にすら万歳三唱をしないとやってられない程追いつめられていたのだ。戦力でいえば、06年シーズン期待外れに終わったピンゴの後釜として加入。身体能力の高さは抜群だった。

FW
 小松 塁→V・ファーレン長崎(Loan Back

 当時九州リーグだった長崎が全国社会人サッカー選手権(以下:全社)、全国地域サッカーリーグ決勝大会(以下:全地)の為に緊急補強した選手のうちの1人。近年は大学で実績のある選手や、Jリーグで実績を挙げた選手でも地域リーグにゴロゴロ在籍しているので、あまりこのような移籍は見ないが、当時は多かった。

FW 高木 ケイン→ウェリントン
 G大阪の練習にも参加していたという、18歳の日系ニュージーランド人。180cm以上ということで期待を込めての獲得だったのだろう。

FW キム・シンヨン→漢陽大学
 韓国大学でも有望な1人として挙げられていたストライカー。いきなり背番号10を背負うことになった。明らかに10番タイプではないのだけど…。


OUT
GK 鈴木 正人→徳島ヴォルティス(Loan
 2006年に伊藤とのトレードで加入するも、出場機会に恵まれず。Jリーグ参入3年目で、前年度J2最下位の徳島へ期限付き移籍となった。

DF 柳本 啓成→現役引退
 3バックの左として活躍も、怪我やスプリント能力の低下によって徐々にパフォーマンス力が低下。惜しまれつつも現役引退となった。
 現在は地元の奈良県でフットサル施設『YANAGI FIELD』を開業。数年に1度開催されるOB戦にも積極的に参加して頂いており、一部の層から絶大なる人気を得ている。

DF ブルーノ・クアドロス→コンサドーレ札幌
 05年堅守を支えたジェントルマン。意識の高さを称賛する声も多く、選手も残留を望んだが、高年俸もあり契約満了。元々はブラジル帰国の予定だったが、昇格を争うであろう札幌への移籍。また年俸が推定4,000万円と、べらぼうに高い訳ではなかったので、やはりフロントに問題があったのでは?という声もあり、ブルーノというよりもフロントに失望する人も多くいた。
 07年の札幌は、ブルーノが中心となったチームでJ1へ。ここで札幌は大きな過ちを犯したのが、前線にブラジル人を並べたいという方針を採った為、1年でブルーノは札幌を去ることに(ここから札幌のブラジル人CH&FWガチャが始まる)。08年からはFC東京へ完全移籍。09年にはナビスコカップ制覇に大きく貢献し、2012年に現役引退。
 2016年からは札幌のコーチとして再来日。進藤亮佑や福森晃斗、キム・ミンテなどの若手選手を代表候補になるCBへと育てている。

MF ピンゴ→AAポンチ・プレッタ
 Jリーグに来るブラジリアンにおいて、時々現れる『真面目で寡黙』の典型的な選手。ブルーノ、カルロスというブラジル人コンビがいながらも、最後までフィットすることが出来ず、終盤戦は怪我で離脱。不本意な形で日本を去ることに。

MF 有村 直紀→ザスパ草津U-23
 秀岳館高校から2006年に加入するも出場機会は訪れず、07年から新設されたチームへ。

MF 山田 卓也→横浜FC
 06年の補強の目玉ではあったが、長期離脱もあり本来の力を発揮できず、J1に初昇格を果たした横浜FCへ。その後鳥栖で主力としてプレーし、アメリカへ。その後は奈良クラブ、FC今治へと移籍し、現役を引退した。

MF 下村 東美→ジェフユナイテッド千葉・市原
 05年の躍進の中では若手だっただけに、向こう5年はボランチ下村で安泰と言われていたが、阿部が浦和へ移籍した穴を埋めるべく千葉へ。始動日になっても合流せずゴネた結果の移籍なので、この年離れた選手の中では、唯一対戦時にブーイングで迎えられた。
  ただ東美に移籍金12000万円というのは、ちょっと美味しい思いをさせてもらったかもしれない。千葉、山形、湘南、北九州と渡り歩き2014年に現役引退。2015年の西京極でのレジェンドマッチでは、セレッソ側として参加。コールも起きて和解(?)を果たした。

MF 河村 崇大→ジュビロ磐田(Loan Back
 名波加入後は水を得た魚だったが、それまでに時間が掛かり過ぎた。翌年からは川崎でプレー。2010年から2016年にかけてはタイでプレー。タイリーグで日本人の評価を高めた第一人者である。

MF 名波 浩→ジュビロ磐田(Loan Back
 加入時は誰もが踊ったファンタジスタ。一時はセレッソ残留目前となっていたが、ラモス瑠偉の熱烈オファーによってヴェルディへ。08年に磐田で現役引退。
 キャスターとして活動していたが、2014年にセレッソ大阪から監督就任の要請。一時は前向きな姿勢を見せたが、条件面で合わずに破綻。2015年秋から磐田の監督に就任し、2019年夏まで指揮を執った。人を惹きつける能力は、おそらく日本人で1番の持ち主だろう。次は何処へ?

FW 大久保 嘉人→ヴィッセル神戸
 サポーターも、そして本人も残留を希望していたが、クラブ財政の関係で移籍以外の選択肢を与えることが出来なかった。始動日直前に約3億円近くの移籍金を残して神戸へ。神戸加入の発表はセレッソサポーターからするとショッキングな形ではあった。
 神戸で再び欧州移籍をするも、ヴォルフスブルクでマガトにキレられて半年で神戸へ。
 J2降格後に川崎へ移籍し、3年連続得点王に。FC東京、磐田を経て2020年より東京ヴェルディへ。

FW ジャパ→SERカシアス・ド・スル(Loan Back
 アンドレに次ぐブラジル人C契約ガチャPart2。セレッソでの活躍は無かったものの、2013年には当時関西1部だったFC大阪でプレー。2016年には中国2部で18ゴールを挙げている。

FW 西澤 明訓→清水エスパルス
 常々「最後は地元の清水で引退したい」という言葉を残していたこと。またコンディションからして、5年もプレー出来る状態ではないと誰もが悟っていた分、この移籍は、誰もが清水に送り出す以外の選択肢は無いと考えていた。

FW 柿本 倫明→湘南ベルマーレ(Loan Back
 04年シーズンに10ゴール、05年シーズンにJ215ゴールを挙げたことを評価され獲得。西澤のバックアップとして黒部に替わる活躍を期待していたが、25試合で1ゴールと結果を残すことが出来なかった。
 2008年に当時北信越リーグだった松本山雅FCへ移籍。引退試合では、セレッソで仲の良かった名波が主体となった一面も。

FW 徳重 隆明→京都サンガF.CLoan
 未だに一部の層から絶大なる人気を集めている徳さん。アタッカーとしての勝負強さとキック精度の高さで、時にモリシのバックアップとして、またジョーカーとして貴重な働きをしていただけに、当時昇格を争うライバルとなる京都への移籍は、フロントにかなりの批判が集まった。
 07年は京都で主力として活躍し完全移籍。2009年にはJ23年連続最下位に終わった徳島へ。50試合で12ゴールを挙げる活躍。2011年のJ1昇格争いでは2度のPK失敗はあったものの、当時弱小だった徳島をJ2強豪チームへと押し上げた第一人者であることは変わりない。2014年に現役引退後は、JFLデンソー在籍時に住んでいた名古屋の一般企業への就職を発表。セレッソのOB戦にも参加してくれる。










2007年夏移籍市場
三浦俊也体制が光る札幌の独走を、福岡、湘南、京都、仙台、山形が追いかける展開。一方、『日本人で守ってブラジル人で攻める』という、古き良きJリーグを体現していた東京ヴェルディと、世代交代を急ぎ過ぎたセレッソは下位に低迷。体制を一新し、巻き返しを図ることに。


セレッソ大阪
 第1クールを勝点159位(13チーム)と、とても昇格を狙うチームとは思えない程の堕落ぶりだったチーム。一部メンバー以外は固定出来ず、新外国人選手はフィットせず、他の選手も経験の無さも露わとなる試合も。
体制が変わった中で、まずは編成の立て直しを図るべく、明らかに今後起用される見込みがないFW2人を放出。3列目の選手層が明らかにJ1昇格争いをするチームでは無かった為、そこに司令塔の役割を果たせる左利きのジェルマーノを獲得。資金力の乏しさは相変わらずなので大きな補強は1人のみだったが、チーム再建の為、まずは淡路島キャンプを実施することになった。


GM 西村 昭宏
 成績不振の責任をとる形で解任。成績やクラブ状況を見れば残念でもないし当たり前だし、2006年の成績の在処を塚田さんだけに預けたのは印象的にも悪かった。
 解任後はJFAを経て高知ユナイテッドの監督に。2017年からはGMに専念し、2020年からはGM兼任監督としてJFLを戦う。

Manager 都並 敏史
 開幕3連敗の時点で解任論が浮上していたが、第2クールまで我慢。それでも藤川コーチと共に解任となった。4バックをしたいのに計算出来るSBが柳沢だけ。主力として起用したい若手選手は、年代別代表遠征等での離脱することが多いなど、明らかにフロントが用意した構想に問題があるのでは?と今見ても思ってしまうところも。
また戦力と各選手の状況を考慮すれば、解任という決断をするには早すぎるという意見の方が多く、結果的にはクルピへの交代は吉の方向に進んだ訳だが、この解任には同情の声が多かった。
ただ苔口と古橋に対し、ターゲットマンをやらせていた時点で、個人的にはこのタイミングで良かったとは思うし、クラブ内の閉鎖的な空気を一度ぶち壊すという意味では、この解任は正解だったかもしれない。都並氏は明らかに被害者だけど。
 2008年は3年契約で横浜FCの監督に就任するも、1年で解任。その後は解説者及びタレントとして活動し、2019年より関東1部のブリオベッカ浦安の監督に就任。

Coach 勝矢 寿延
 2005年よりトップチームのコーチに就任していたが、梶野氏を中心とした人事異動に伴い、スカウト総括責任者に。

Physical Coach 生駒 武志

GK Coach 藤川 孝幸


NEW GM
 梶野 智

西村氏の後任として再就任。選手時代の監督であるレヴィー・クルピ氏を招聘。

NEW Manager レヴィー・クルピ
 10年ぶりの復帰。2002年にはセレゾン監督として日韓W杯で指揮を振るう可能性もあった模様。

NEW HEAD



IN
GK ジウバーニ→グレミオ(Loan
 レヴィー・クルピ&梶野体制によるブラジル人C契約ガチャPart1で、セレッソ大阪公式HPの歴代選手にも掲載されていない。日本人GKを信頼していなかったクルピの要望を、とりあえずC契約で誤魔化す形でもあったのかも。

MF ジェルマーノ→ジュニオール・デアン・フチボウ(Loan
 レヴィー・クルピ就任直後のキーパーソンとなった左利きの司令塔。彼の加入によって、当時はボランチだった香川真司を1列前で起用することが出来るようになった。


OUT
GK 丹野 研太→V・ファーレン長崎(Loan Back
 当時はJFL昇格を狙う長崎が、全社&全地に向けて補強を行っていた中の1人。

FW キム・シンヨン→サガン鳥栖(Loan
 明らかなファイター型FW、しかもプロ1年目の選手に10番を背負わせた強化部のセンスは見事であった。2009年に甲府へ完全移籍。同年14ゴールを挙げた。

FW 高木 ケイン→ガイナーレ鳥取
 アジアを渡り歩いているストライカーは、セレッソでの公式戦出場は無く移籍。翌年に所属したワイタケレUでは、途中出場ではあるがクラブW杯に出場した。





2007年シーズン】 
 都並体制から辛抱強く起用した結果、若手から中堅になりつつある選手達(濱田、酒本、小松)が、ある程度計算が出来るようになったこと。香川が古橋と並ぶ期待値が持てること。安定感こそないものの、ハマった時の爆発力を持つ柿谷、森島康などの収穫も多かった。
 それでも第1クールの遅れを取り戻すことは出来ず、5位でシーズンを終えることとなった。





セレッソ大阪U-18の主な卒業生(3年生・トップチーム昇格選手は除く)】
MF 大庭 慧之国士舘大学→アミティエSC
FW 赤堀 翔平…京都産業大学→セレッソ大阪SCコーチセレッソ大阪営業部

 柿谷世代。2年生の山口螢などが中心で、トップチームに昇格する選手はいなかったものの、関西プリンスリーグは2位で高円宮杯に進出しベスト16Jユースカップも3年ぶりにGLを突破するなど、高円宮杯初出場を果たした2006年から続けて、好成績を残した

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